鈴善の歴史

鈴善の歴史

鈴善は、天保3年(1832年)に
初代鈴木善九郎によって創業いたしました。
以来180年の間、
会津の漆器産業とともに歩んでまいりました。

塗物問屋
としての
はじまり

塗物問屋としてのはじまり

江戸幕府発行鑑札

江戸幕府より塗物問屋としての鑑札が与えられ、全国で取引を行うようになりました。会津藩主からは『鈴木屋漆器店』という暖簾を拝領し、江戸、信州、下野まで出向いては、漆器の見本を大量に背負い行商へ。販路を全国に拡大しました。それまで美術品であった漆器が、市民の日用品として大衆化し、瞬く間に広がりました。その後の戊辰戦争によって会津漆器業界は大きな打撃を受けましたが、業界をあげての努力により危機を乗り越えました。

多様な
事業展開と
産業の発展

多様な事業展開と産業の発展

明治30年ごろから漆器と並行し、着物をかけておく漆塗りの家具『衣桁(いこう)』の生産に着手、初めて器から家具へと目を向けた展開となりました。衣桁の木工過程を機械化したことで大量生産が可能となり、全国生産の7割を占める事業にまで発展。それまでは寺で見かける程度だった衣桁が一般に普及し花嫁道具の一つに数えられるようになるなど、漆産業の発展の一翼を担いました。
衣桁工場は戦時中に軍需工場となり、軍需木工品の製造に衣桁をはるかに上回る大量の木材が必要となったことから、山林の買付から伐採、流送に至る木材の豊富な知識を身に付けた弊社は木工業へ進出することとなりました。

プラス
チック製
素地の開発

プラスチック製素地の開発

漆器と衣桁の市場は、会津の事業者たちが長年にわたる努力で切り開いた市場でした。徹底した市場調査にもとづき受注生産と見込み生産を緻密に計算して成り立てたもので、そこには「多くの人に必要とされるものを作る」という確固たるコンセプトがあったのです。また、他地域の台頭によって会津漆器が競争にさらされる中、4代目がプラスチックの一種であるベークライトに着目し、試行錯誤の末に樹脂製素地の生産を可能としました。プラスチック素地の採用によって生産方法が手工業から機械化へ、家内工業から工場生産へ変貌し昭和の大量消費の時代へ突入したのです。

会津
ものづくり
文化の
継承者として

会津ものづくり文化の継承者として

昭和30年代まで漆器の素地は木であることが常識でしたが、以降はプラスチック製の素地が大半を占めるようになりました。中国製漆の輸入ストップによって漆以外の塗料の使用を模索することとなり、同じ漆科であるカシューナッツの木から採れる植物性塗料(カシュー漆)が使われはじめたのです。現在、漆器業界が一様に工芸から工業への道を歩む一方で、高価で芸術的価値の高い木製素地と安価で日用使いしやすい樹脂製素地の消費者ニーズの違いを念頭に、双方の異なる価値を改めて広く伝え、会津の塗り物文化だけではなくものづくりのこころの伝承と継承に力を注いでいます。

沿革

天保3年

1832年

創業。初代鈴木屋喜兵衛、
藩主松平家の御用商人として漆器業開業。

  • 嘉永年間

    1848〜55年

    二代目鈴木屋喜兵衛、会津藩主松平家より
    松竹梅暖簾および硯箱を拝領する。

  • 明治3年

    1872年

    布令により鈴木善九郎(初代)と改名し、
    二代目、三代目ともに会津漆器問屋として
    塗物組合の世話人を務める。

  • 明治10年

    1879年

    漆器の海外輸出へ着手し、会津漆器全体の
    輸出売り上げの4割を占めるほどとなる。

    明治10年
  • 明治後期

    1900年ごろ

    四代目鈴木善九郎(先々代)、
    家業の復興に努め旧鈴善工業の礎を築く。

    明治後期
  • 大正年間

    1912〜25年

    漆製品として普及していなかった
    衣桁の生産を始める。木工工程の機械化による製造を開発し量産に着手。
    漆器と衣桁の二事業へ展開。

    大正年間
  • 大正10年

    1921年

    上野松坂屋にて漆器取引を開始。
    デパートに漆器売り場が出現したのは
    全国の先駆けである。

    大正10年
  • 昭和6〜8年

    1931〜33年

    東京支店、名古屋支店、
    大阪支店、札幌支店の開設。

    昭和6〜8年
  • 昭和10年

    1935年

    プラスチックの一種である
    ベークライトに着目し、開発のために
    パーマライト株式会社を設立し
    合成樹脂の研究開発を進める。

    昭和10年
  • 昭和12年

    1937年

    終戦に至る間、軍需木工品製造に転換、
    従業員500名を数える。
    木製飛行機の試作をする。

    昭和12年
  • 昭和19年

    1944年

    政府の戦時企業整備令により
    パーマライト株式会社が
    中央合成樹脂工業株式会社に合併。

  • 昭和20年

    1945年

    鈴善工業株式会社改組。
    終戦により組織を改める。

    昭和20年
  • 昭和47年

    1972年

    本社および工場新築、新木工機械の設置、
    伝統的な木工技術を生かし、
    けやき木工芸品の製造に着手。

  • 昭和55年

    1980年

    会津若松市大町三の町に「髹の辻」オープン。
    漆器用品や資料の保存、作品の展示のために
    漆資料館、ギャラリーを新設する。

    昭和55年
  • 昭和58年

    1983年

    「髹の辻」第一回福島県建築文化賞を受賞。

    昭和58年
  • 昭和63年

    1990年

    鈴善DCブランド
    『ヒロココシノ妖しの漆し』を発表。

  • 平成元年

    1991年

    会津塗りタンス製造をスタートする。

    平成元年
  • 平成12年

    2000年

    鈴善グループによる経営の多角化、
    観光レジャー産業に参入。

  • 平成30年

    2018年

    鈴善株式会社改組。卸業から離れる。

  • 令和元年

    2019年

    歴史ある建造物を開放し、
    『会津塗伝承館』
    をオープンさせる。