会津鶴ヶ城
戦国時代に蘆名直盛が造った黒川城が若松城 通称会津鶴ヶ城のはじまりとされ、伊達政宗、蒲生氏、上杉景勝、加藤氏、保科氏と様々な城主が会津の地を守りました。江戸時代になり、会津藩主である松平家は徳川将軍家と密接な関係にあり、幕末には戊辰戦争の激戦地となりました。現在城跡は「鶴ヶ城公園」となっており、そのほとんどが国の史跡に指定されています。天守閣は鉄筋コンクリートで外観復元され、内部は若松城天守閣郷土博物館となっています。
駅からもお車でも
アクセスしやすい立地です。
会津若松ICより
車で約10分
七日町駅より
車で約8分
徒歩で約15分
会津若松駅より
車で約6分
徒歩で約10分 (信号9個目角)
鶴ヶ城より
車で約10分
徒歩で約25分
大型駐車場も完備しておりますので、
車でお越しのかたは専用無料駐車場を
ご利用ください。
【大型バス4台・普通乗用車約25台】
会津塗伝承館 鈴善
〒965-0037 福島県会津若松市中央1-3-28
鈴善にお立ち寄りの際、観光を楽しめる
近隣スポットをご紹介致します
戦国時代に蘆名直盛が造った黒川城が若松城 通称会津鶴ヶ城のはじまりとされ、伊達政宗、蒲生氏、上杉景勝、加藤氏、保科氏と様々な城主が会津の地を守りました。江戸時代になり、会津藩主である松平家は徳川将軍家と密接な関係にあり、幕末には戊辰戦争の激戦地となりました。現在城跡は「鶴ヶ城公園」となっており、そのほとんどが国の史跡に指定されています。天守閣は鉄筋コンクリートで外観復元され、内部は若松城天守閣郷土博物館となっています。
新政府軍と幕府方の会津藩の間で発生した会津戦争で、会津藩では藩士子弟の少年たちで構成される白虎隊が敗走し撤退する際に飯盛山に逃れ、鶴ヶ城周辺の武家屋敷等が燃えているのを落城と錯覚し、もはや帰るところもないと自刃した白虎隊十九士の墓が並んでおります。また、飯盛山の中腹に建つ通称「会津さざえ堂」は他者とすれ違うことなく、別の斜路を降りて出口から出ることができる不思議な構造の重要文化財指定のお堂もあります。
七日町通りは会津若松市の市街地の通りであり、沿道にはレオ氏郷南蛮館や洋館、白木屋資料館、阿弥陀寺御三階などが存在しております。お土産店が軒を並び、アンテナショップなど役割も備えた「駅Cafe.」ほかにも、会津若松市内で運転される観光向けのバス「ハイカラさん」「あかべぇ」も七日町通りを経由し、観光地として賑わいをみせる通りとなっています。
山形県の上山温泉、湯野浜温泉とともにかつて奥羽三楽郷と呼ばれた名泉。硫酸塩泉で効能はリウマチ性疾患・運動器障害・慢性皮膚疾患などに効きます。現在でも芸妓が活躍しており、「からり妓さん」として温泉街に花を添えています。
会津藩松平家の別荘から発祥した「新滝」、会津藩指定保養所の歴史を持つ「向瀧」、新撰組副長・土方歳三が戦傷を癒した源泉を持つ「不動滝」など、由緒ある旅館には、滝の付く名称の旅館が多く存在します。